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フィリピンで『ぼくのお日さま』が上映され満席に! 鬼才ブリランテ・メンドーサ監督と奥山大史監督の対談が実現。

2025/02/25(火)

会場となったフィリピン・マニラのRed Carpet Cinemas Cinema 1は満席に!

文化庁が主催する映画上映企画「Journey Through Japan on Screen」の一作として選ばれた『ぼくのお日さま』。スクリーンを通じて北海道の雪景色をマニラの皆さんにお届けした後、フィリピン映画界の鬼才ブリランテ・メンドーサ(Brillante Mendoza)監督と奥山大史監督の対談が催されました。本レポートでは、国籍や世代、作風も異なる2人が、お互いにシンパシーを感じ合った対談の模様を、ほぼノーカットでお届けします。

(左から) 司会のAlexさん、奥山大史監督、Brillante Mendoza監督

ブリランテ・メンドーサ(Brillante Mendoza)
1960 年、フィリピン出身。『サービス』(08)が、フィリピン映画として 1984 年以来のカンヌ国際映画祭コンペ出品作となり、『キナタイ─マニラ・アンダーグラウンド─』(09)で第 62 回カンヌ国際映画祭監督賞を受賞。『グランドマザー』(09)で第 66 回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門に出品。イザベル・ユペール主演『囚われ人 パラワン島観光客 21 人誘拐事件』(12)が第 62回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品され、世界三大映画祭すべてのコンペティション部門出品を果たす。『ローサは密告された』(16)では主演のジャクリン・ホセを東南アジア初のカンヌ映画祭女優賞へと導いた。

司会   それではまず最初に、お一言ずつ、お願いいたします。

奥山   マガンダンガビー(こんばんは)。『ぼくのお日さま』を監督した奥山大史です。今日は、多くの方にご鑑賞いただけて、大変嬉しく思います。そして、メンドーサ監督とお話する機会をいただき光栄です。短い時間ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

メンドーサ   皆さんと一緒にそこに座り、この映画をとても楽しく拝見しました。トークもどうぞ楽しんでいってください。

司会   ありがとうございます。まずは奥山監督、この映画のインスピレーションは何でしょうか?

奥山   子どもの頃、7年ほどフィギュアスケートを習っていました。それがインスピレーションの1つになっています。

司会   主役二人のキャスティングはどのように進めていきましたか?

奥山   タクヤ役の越山くんとは、オーディション期間の早い段階で出会うことが出来ました。雰囲気にタクヤらしさを感じましたし、スケートも滑ることができて。一方でさくら役のオーディションは難航しました。最終的には、日本各地のスケートリンクに「ヒロイン募集中」という張り紙を貼ったり、スケートの大会を覗きに行ったりを重ねる中で、中西さんと出会うことができました。

司会   コーチ役の池松壮亮さんは、『ラスト サムライ』でトムクルーズさんと共演されていた方ですよね。

奥山   はい。池松さんとは、この映画を思いつくよりも前に、広告の仕事で出会いました。そこで、彼と映画が撮りたいと強く思い、当て書きという形で荒川というコーチの役を作りました。

司会   メンドーサ監督、そうして出来上がった映画を、どのように受け取りましたか?

メンドーサ   愛おしいと思いました。繊細で、静かで、優しくて。まさに私にとっての日本でした。

司会   ご自身の作品と通じる部分は何かありましたか?

メンドーサ   どうでしょう。私がこれまで作ってきた映画は、暑くて、うるさくて、混沌としている。でもその分、フィリピンらしいエネルギーに満ち溢れている。この映画は、寒くて、静かで、シンプルだから、一見対局的。でもそこに、どこか日本らしくない、強烈なエネルギーを感じました。それはきっと、登場人物同士の深い繋がりが、きちんと描かれていることによる力です。

司会   メンドーサ監督は、日本でも映画を撮影されたことがありますね。『義足のボクサーGENSAN PUNCH』では沖縄の景色が印象的でした。

メンドーサ   はい。加えて、編集中の新作『カメレオン』では、この映画と同じく札幌や小樽で撮影をしました。北海道に限らず、新潟、福岡、東京でも撮影をしましたね。

司会  新作のロケ地を日本に選ばれたのは何故ですか?

メンドーサ   日本にはフィリピン人が沢山住んでいますよね。沢山いるのに、映画で描かれることは、ほとんど無い存在。そんな在日フィリピン人に関する、とある出来事を聞きました。それを映画にしたいと思ったので、必然的に、撮影地は日本になりました。

奥山   『ぼくのお日さま』は、2年前の冬に撮影をしたのですが、その時にホテルのロビーで打ち合わせをしていたら、他にも映画の打ち合わせらしきものをしている方々がいたんです。日本人ではない方も参加されていたので、一体何の作品なのか気になっていたら、後でプロデューサーから「メンドーサ組が同じホテルにいる」と聞いて「え、メンドーサ!?」となったのを覚えています。

会場   (笑)

メンドーサ   そうでしたか。同じ雪を撮っていたかもしれないですね。

来場された方々に向けた英語版ロケ地マップ

司会  ところで、メンドーサ監督は映画撮影の際、「ファウンド・ストーリー」という手法を用いられているそうですね?

メンドーサ   はい。キャストたちには台本がなく、ただ物語を体験してもらい、そこで話し合いながら最適なセリフを見つけていってもらいます。

奥山  それは理想的ですね。脚本に縛られず、状況だけを作り出し、その場で物語を探していく。実は、この映画も、当初は脚本という形すら廃してみようかと思っていました。ただ、資金集めのためにはどうしても脚本が必要ですよね?

メンドーサ   はい、撮影するまでのプロセスは、通例通りです。脚本を完成させ、それをスポンサーにも読んでもらいます。現場のスタッフにも熟読してもらいます。ただ、俳優に渡さないのです。その理由は、たった一つで、暗記して欲しく無い。暗記して発せられる言葉には力がない。もっと、感情とセットになって出てきた言葉が欲しいのです。だからこそ、俳優を尊敬して且つ信頼し、自分の書いた脚本を疑う。そんな考えから、俳優には、全体のストーリーを把握せずに撮影に取り組んでもらう演出方法を取るようになりました。

奥山   あまりにも目指している方向が一緒で、驚きました。この映画も、資金集めや撮影準備のために、脚本は書きました。ただ、タクヤ役とさくら役には、台本を渡していません。理由は一緒です。『ありがとう』というセリフがあったとして、演者本人が、この人にお礼を伝えたい、と感じて自発的に出てくる『ありがとう』と、台本に書いてあったから、と口からでてくる『ありがとう』には、やっぱり本質的な違いがあるように感じています。俳優としての経験が浅ければ浅いほど、そこには大きな違いがあると思います。

司会  またも意外な繋がりが見えてきましたね。奥山監督はこの数日、フィリピンに滞在されてみて、この地で映画を撮ってみたいという気持ちは芽生えてきましたか?

奥山  気候も人も温かいですし、美しい自然や建物にも出会いました。ただ、これまでメンドーサ監督の映画を観てきただけに、正直、少し怖いな、と……

メンドーサ監督・会場  (笑)

司会   メンドーサ作品を通じて、この街の怖い側面にも触れた上で、こうしてフィリピンに来てもらえたこと、嬉しく思います。安心して映画が撮影できる地域を、メンドーサ監督に案内してもらうと良いですね。

奥山   是非、お願いします。

司会  私からは最後の質問です。奥山監督は、若くしてカンヌ国際映画祭に招待されています。そして、メンドーサ監督は、同じくカンヌ映画祭で、フィリピン人として初めての監督賞を受賞されました。そんなお二方にとって、映画祭とはどんな場所なのでしょうか?

奥山   映画のスタート地点として捉えています。学生の頃は、煌びやかで、憧れの監督たちが揃って参加していて、ゴールのような場所だな、と見上げていました。でも、いざ行ってみると、そういう側面ももちろんありますが、それよりもまず、映画の市場であること。あの場所で初のお披露目ができることで、その市場へ集った人たちが、映画をより遠くへと届けてくれる。こうしてフィリピンに作品を呼んでいただいていることも、その結果の1つと言えます。だから今は映画祭を、日本の外へ映画を届ける道のスタート地点と捉えています。

メンドーサ   その通りですね。映画祭というのは、どこの国の、どんな人が、どの言語で話していたとしても、グローバル化させる可能性を持つ場所です。加えて言うとしたら、国際的なイベントでありながらも、政治的なイベントではない。国境を超えても、お互いが人として、人間関係、そこに生まれる感情の話ができる。そこが、私にとって国際映画祭の魅力です。

司会   最後に少し、会場の皆さんからも質問を募りたいと思います。質問ある方は手を挙げてください。では…、後ろの列の眼鏡をかけられている方。

来場者  素敵な物語をありがとうございました。終盤、スケートを習う女の子がフィギュアスケートを『女のスポーツ』と表現するシーンがありました。でも、監督はフィギュアスケートを習っていたとのことだったし、何より日本には、羽生結弦選手もいます。あえて、女性のスポーツとしてフィギュアスケートを描いたのはなぜでしょうか?

奥山   僕がフィギュアスケートを習っていたのは、小学生の頃です。もう20年以上前。その時はまだ、男の子の競技人口がかなり少なくて。学校でも「女のスポーツやってる」と揶揄われる気がしてしまい、習っていることを言えずにいました。僕はその時代のフィギュアスケートしか深く知りません。今では、お名前が挙がった羽生結弦選手を初めとして、様々なスター選手の登場によって、男の子にとっても格好良いスポーツ、という認識にすっかり変わりました。嬉しい変化ではあるものの、認識が変わった後のフィギュアスケートは、自分にとって映画で描けるほど身近なものでは無い。だからこそ、この映画の時代設定を、現代よりも少し昔、近過去にしました。スポーツによっては、ちょっとしたジェンダーバイアスがある頃の物語を描きたかったんです。

司会  それでは、もうひとつ、もし良かったらメンドーサ監督に質問のある方はいらっしゃいますか。では前方の列の方。

来場者  メンドーサ監督に質問です。映画を巡る状況は、常に変化しています。監督の映画の作り方は、何か変わっていきますか?

メンドーサ  社会が変化し続けているのと同じように、確かに映画を巡る状況も、常に変わり続けています。ただ、その変化が、ダイレクトに、私の映画の作り方に影響していく、ということはありません。映画の作り方というのは、結局のところ、どんな映画を作りたいのか、どんなインスピレーションを得て動き出したのか、ということに拠るのです。

奥山   映画の作り方、という点に関しては、僕からも1つ、質問があります。映画を作るための資金集めは、どうされていますか?というのも、『ぼくのお日さま』のように、自主映画ではないけど、大作でもない、いわゆる中規模な映画というのは、ビジネスモデルとしてどうやら確立しづらい。それ故に制作本数が少ない。日本では、映画の規模がどんどん二極化しているように感じています。フィリピンと日本、どちらでも映画を作った監督でありプロデューサーでもあるメンドーサさんから、映画の資金集めに関するお話も聞いてみたいです。

メンドーサ  難しい質問ですね。ただ、資金集めというのは、映画作りにとって、とても重要な要素です。私は、商業的な映画を作る監督ではないので、例え映画祭や海外で評価されていても、フィリピンでは公開すらされなかった作品もある。そういった点からも、フィリピン国内で資金集めを完結することは難しい。私が日本で撮影するのは、撮りたい物語が日本にあったことと共に、そんな理由もあるのです。日本が舞台の物語を、日本の企業とタッグを組んで作ることで、国際共同製作となり、日本から助成金を得られる可能性もある。私としては、フィリピンと比較すると日本の方が、出資者になってくれる人や組織が多い印象です。

司会  もっとお二人のお話を聞いていたかったのですが、時間となってしまいました。『ぼくのお日さま』を私たちに届けてくださった奥山大史監督、そして、先輩として様々なお話をしてくださったメンドーサ監督、本当にありがとうございました。

イベント終了後も観客の皆さんと交流が続く両監督

映画を通したフィリピンと日本の国際交流の模様、最後までお読みいただきありがとうございました。
フィリピンの方々にも温かく届いた『ぼくのお日さま』は、これから上映が始まる劇場もございます。
是非、劇場情報をチェックしてみてください!